ビブロス航海記

〜2ヶ月の航海を終えて〜

ビブロス

 20フィートの合板艇で五ヶ所湾を目指すのが冒険だった事が50年近い昔になってしまいました。
何時かは南太平洋、地中海へと夢を持ち古代ローマ時代の都市を艇名にして6艇を乗り継ぎ、仲間達と長距離レースなど何度も経験しヨット三昧をさせてもらい昨年古希70歳を迎えるに至りました。50代以降はレースに出ることは無くなりましたが仲間達との短いクルージングは変わらず続けていました。仕事を離れることが出来、時間的にも経済的にも余裕が出来たのが一昨年でした。自身の体力的に太平航海は無理と観念し日本沿海なら、長年の妻との約束を果たせそうだと瀬戸内、九州クルージングを計画しました。

 ロングクルージングを経験された方々にいろいろ教えて頂き相応な準備をしたもりで出発しましたが、航海途中でスチロールフェンダー、舫いロープ、シャックル、チェーンなど買い足す必要も出てきました。一日の行程は30から40マイル以内として昼前後には次の寄港地に到着するように計画していました。航海中は二人きりでしたが寄港の度に出会うヨットの方々や地元の人たち、漁師さんの助言や手助けが無ければ到底出来なかった2ヶ月余りの航海だと実感しています。

 セーリングクルーザーを持つことの一つの大きな魅力としてロングクルージングが出来る事だと思います。寝食生活すべてが完結できほぼ何処へにも行くことが出来ます。出会ったほとんどのヨットは60才以上の仕事をリタイアされた方ばかりで、言葉通りの日和任せ風任せの航海をされていました。退職されてからヨットを始めて航海されている方もいました。それなりの経験と知識と現在の航海機器の装備があれば誰もが安全にロングクルージングが出来る時代にもなってきたのだと思います。また実感として何処のマリーナ、ハーバーにおいても衰退の一途のようで若い方の姿があませんでした。今の私たちにも何かしら出来ることを考え実行することも必要なことと思います。ヨットを通しての人との関わり、海への畏怖、敬愛、明日への活力源、人生の振り返り、などなど教えられる事の多さに勝るものは無いと信じます。

写真や記事はFacebook 富貴ヨットハーバーホームページでご覧いただけます。

妻の航海記

 50年ほど前、ディンギーで蒲郡から三河大島へのセーリングに誘われ転覆しそうな船体にしがみつきやっとの思いで砂浜に上がったのがヨットの初体験でした。それから30年主人は毎土曜の夜から日曜はほぼ皆勤でハーバーへ出勤?してました。せめての罪滅ぼしなのか夏のパーティーには何度か家族で参加していました。その頃の決まり文句は「将来は南太平洋に連れて行く」でした。近年の20年余りは主人の仕事が忙しくほとんど乗ることはありませんでした。そして仕事が順調に廻りだしリタイヤした頃は南太平洋が瀬戸内海から九州のロングクルージングになってました。うきうきと準備する主人に「楽しみね」と差し障りの無い返事をしながら『ロングクルージングは不安と恐ろしさが2/3、怖い物見たさが1/3』の心境でした。佐久島へ一泊の練習クルージング。次は神島、次は答志島へと連れて行ってもらいました。『何処へ向かっても海はずっと続いている。少し遠い答志島に行くと思えばなんてことは無い。』と自分に言い聞かせながら引きつり気味の笑顔で手を振りいざ出航したのです。一日目から風が強く、波もそこそこ高く、予定していた処より少し近場の渡鹿野島に入り一泊。夜は風の鳴き声も強く眠れませんでした。二日目からは風も波も穏やかで海の色、遠い島影を楽しむ余裕も出てきました。薄いシルクを敷き詰めたような瀬戸内海。寄港した島々や漁港では親切に声をかけて下さるヨットマンや漁師さんは皆口を揃えて「私らも寄港した所の漁師さんや地元の方々に親切にしてもらってるので恩返しや」と、日本もまだまだ捨てた物ではないと胸が熱くなりました。そんな毎日であっという間に2ヶ月が過ぎ、最後のつまずきがありましたが無事に帰宅できました。

『来年はもう半月早く出港しようね!』

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