富貴ヨットハーバー管理協議会は、知多半島や名古屋市、三河方面のヨットマンによって結成されたグループです。現在の形にハーバーが整備されるまでには、先人ヨットマンたちの苦難に満ちた歴史がありました。
●富貴前史
富貴の入江にヨットが係留されはじめたのはいつの頃か定かではありませんが、まとまった形でヨットが集まったのは1973年のことでした。
当初、富貴の古参グループのヨットは、現在のハーバーから北へ2kmほど離れた武豊泊地に自由係留の形で停泊していました。
ところが、1973年に武豊泊地の貨物船の出入りが増えてきたため、安全確保の点からヨットの立ち退き計画が起こりました。これが現在の富貴地区へのヨット移動の発端です。
●衣浦港振興会による管理
愛知県では移動の受け皿として、半田、刈谷、碧南、西尾の4商工会議所が中心になって作る衣浦港振興会にヨットの管理をまかせました。そして、衣浦湾振興会が愛知県から水面使用と工作物設置の許可を取る、という形になったのです。
当時はヨットクラブ、オーナーグループという「任意団体」ではヨット泊地管理を行うことが許可されない時代でした。そのために商工会議所が中心となった衣浦湾振興会が作られたのです。
衣浦港振興会では入会金などを30万円、ヨットの大きさに応じて年3万円から8万円あまりの使用料を徴収、50隻を超す艇を管理していました。
しかしながら、ヨットオーナーの間には、当初から「ハーバー施設が不備である上に、会費の収支決算が不明朗で、一部役員がハーバーを私物化している。」などといった衣浦湾振興会への不満がくすぶり続けていました。
●オーナーグループに水域使用許可
そうした状況が続く中、画期的な変化が現れました。1985年5月付けで、愛知県の港湾管理条例の一部が改正され、武豊港と碧南市新川港の2地区にヨット泊地が認められることになったのです。
それとともに、管理条例の弾力的運用によって、一般水域である富貴地区のハーバーも「任意団体」であるヨットクラブが水域使用の契約を取りつけることができるようにオープン化されました。
すなわち、「ハーバーのオーナーグループによる直接管理」という画期的な道がオーナークラブに開かれたのです。
かねてから、衣浦港振興会による係留管理のあり方に批判的であったオーナーグループ(当時の名称は衣浦セーリングクラブ)は、これを機会にクラブ独自の力でハーバーの管理・運営を目指して動き始めました。
まず、1985年2月に多数の会員の賛同を得て、「衣浦セーリングクラブハーバー管理委員会」が設置されました。
衣浦セーリングクラブハーバー管理委員会は、その後増えた利用者65人のうち59人の委任状を取りつける一方、ハーバー使用料の供託などによって、管理者である愛知県と衣浦港振興会を相手に、ユーザーの権利獲得闘争を展開しはじめたのです。
この交渉は2年あまりにわたって続き、その間、メンバーの中には交渉に時間を取られるあまり、ヨットに乗る時間が無くなってしまった方もいました。
しかしながら、長く厳しい忍耐強い交渉の結果、1987年4月、ついに衣浦港振興会に代わり、衣浦セーリングクラブハーバー管理委員会が水面の占用許可を正式に得ることになったのです。
これにともない、会の名称も現在の「富貴ヨットハーバー管理協議会」と改め、新たなスタートをきったのでした。
●恒久的フローティングポンツーン設置
新ハーバーの整備計画は、衣浦港振興会が設置した古い係留設備の撤去と、愛知県衣浦港事務所による水域の土砂浚渫作業から始まりました。
これまでの泊地は、河川からの土砂流出とヘドロの堆積で、干潮時にはヨットが横倒しの状態になるほど水深が浅くなっていたのです。
浚渫は「河川の流水に支障を来たした」との理由で着手され、付近の河口一帯と泊地の全域が工費約2700万円をかけて、深さ-2.5mまで掘削されました。
浚渫工事の完了をうけて、1988年5月にポンツーン用パイル打ちが開始され、5ヶ月後の1988年10月下旬、待ちわびた新しいポンツーンが完成、盛大な竣工式が行われました。
この間、メンバーのヨットは約1年5ヶ月近く、半田港の仮泊地に退避しており、オーナーたちは不自由なヨットライフを過ごしてきました。
しかし、長い間夢に見てきた自前ハーバーの発足は何ものにも替え難い喜びであったのです。
完成したハーバー施設はポンツーン4基(総延長120m)、占用水域の広さは9,000平方メートルほど。ポンツーンの形態は、長さ15m、直径45cmのコンクリートパイル総計44本を、それぞれ1.5m感覚幅に打ち込み、パイルの間に発泡スチロール製のブイを設けてウォークウェイとする本格的恒久的な設備でした。
建設費用は総額で約6,500万円。80人の会員が一人平均90万円近いお金を出し合ったことになります。
●横抱きポンツーンの追加
1988年のポンツーン完成以後も、陸電・清水設備、投光装置の設置、クラブハウスの設置、駐車場・上架ヤードの整備など、ハーバーとしての機能をより充実したものとしつづけてきました。
これもオーナーグループの自主管理という運営方法による部分が大きく機能しているものと思われます。
1999年4月からは、懸案の「櫛形ポンツーン」化工事が開始されました。既存のポンツーンに横抱きポンツーンを設けることになったのです。
まず、1999年4月に浚渫工事が実施され、続いて追加のパイル打ちが行われました。同時に横抱きポンツーンの組立も行われました。
すべての工事が完了したのは、1999年7月。富貴ヨットハーバーは誕生以来10年目にして、再度生まれ変わったのです。
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